JR帯解駅での駅立ち

2021年 03月 17日

夕方16時〜18時までご挨拶、政策チラシを直接お渡しさせていただきました。

帯解(おびとけ)は奈良市の南端、西へ約600mいくと大和郡山市、南へ約600mいくと天理市という位置にあります。

駅はこちら画像にあるような小さい駅で、電車も2両ワンマン列車(1両目の後乗り、前降り*2両目はドアが開かない)など乗り慣れていないと分かりにくいルールです。

小さい駅だけど、帯解はすごい場所なのです。またまた Wikipedia からの一部引用です、すみません。

寺伝では、元は霊松庵といい、空海の師である勤操によって開かれた巌渕千坊の一つであったという。長らく世継ぎに恵まれなかった文徳天皇后の染殿皇后(藤原明子)が当寺にて祈願をしたところ、惟仁親王(後の清和天皇)が生まれたことから、天安2年(858年)、文徳天皇の勅願により伽藍が建立され、勅命により帯解寺と名乗るようになったという。

江戸時代には、江戸幕府第3代将軍・徳川家光に世継ぎがなく、側室の御楽の方が当寺にて祈願したところ、竹千代丸(4代将軍・徳川家綱)を安産した。その折種々の瑞祥があり、家光は瑞祥記を当寺に下賜し、仏像仏具等も寄進した。寛文3年(1663年)にはその家綱より手水鉢の寄進があった。また、第2代将軍・徳川秀忠の正室・崇源院の安産祈願したことも有名。

20世紀以降も美智子皇后、雅子皇太子妃をはじめ、三笠宮、高円宮、秋篠宮などの皇族が当寺において安産祈願を行っている。

歴史の重要な人物に深い関わりがあった安産祈願の場所、それが帯解でした。

帯解寺